復活007 : ( 番外編 ) パニック消費

買占めや、買いだめのパニック消費はなぜ起こったのだろうか?

毎日のように立ち寄っていた、駅前のスーパーのことを思い出してみる。

震災の日は帰れなかったので、翌日、土曜日の夜のこと。


土曜日の夜、商品はいつも通りあった。
カセットガスも、電池も、パンも、レトルト食品も、カップ麺も、あっためるご飯も。
いつもと変わらなかった。
ただ、水はなかった。
普通に買い物ができた。
自分としては、買いだめとか買占めとか、まったくそのよな感覚はなかった。
「 念のため買っておこう 」 という、軽い気持ちだった。 

「 念のため 」 という行動が、消費を促し、在庫が切れ、そしてパニックにつながったのか?

そして、「 宝探し 」 という感覚につながったのか?
ないものを見つけるということ、ないものを持っている優越感。

だったのか?


それもあったかもしれない。


それよりも、「 被災者 」 の感覚におちいってしまったのではないだろうか?

特に、都心に住んでいる方の話を聞くと、「 食器が全部割れた 」 とか、
「 庭の灯ろうが倒れた 」 とか、少なからず被害があったようだ。

地震の後片付けが終わった後、買い物に行ったのが、「 買占め 」 や
「 買いだめ 」 につながったのか?

何より、まず地震当日の、帰宅難民化。
そして、連日伝わってくる震災の状況。
あたかも、自分も震災の被災者になったような感覚になってしまったのではないだろうか?

二十日間たって、ようやく冷静になってきたが、自分は、被災者ではない。ということ。
電気も、水道も、ガスも。下水道も。

何不自由なく暮らしている。
ちょっと、不便なだけ。ただそれだけ。

被災者の感覚から、支援者の感覚へ。
ようやく変わりつつある。
 

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